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Posted by みやchan運営事務局 at

2019年07月22日

世界の伝記:ガリレオ

顔 こんばんは!

昨日21日で 宮崎空港での ひむかの国の窯元まつり が終了しました。

お越しいただいたお客様 ありがとございます。

これからまた、 7月、8月 と制作に励みたいと思います!


それでは、今日は、世界の伝記 : ガリレオ です。

 


㈱ぎょうせいが昭和50年代に出版した 世界の伝記 集 が面白かったので、

アポロ11号月面着陸50周年に関わる誰かの伝記が読みたくなり、探してみました。

今回は、世界の伝記 ガリレオです^^


ガリ(ガリレオ・ガリレイ)は、1564年 フィレンツェ近くのイタリア・ピザで生まれる。 1642年 78歳で衰弱死している。

1517年のルターによる宗教改革:プロテスタント誕生。その後の勢力拡大の脅威から、

カトリックが逆に、イエズス会結成など 反宗教改革運動を強めていく時代です。


反物商でリュートの名人・ガリの父ヴィンツェンツィオは、

「自分の主張を支える真の裏付けを示しもせず、偉い人がああ言っている、こう言っているから、

などという人は、あほう もいいところである。 」

と自身の著書で言っているような人で、

この血は、ガリの中にも流れている。

アリストテレスの教えを基礎にしたスコア学が、学問の基本だった当時、

「先師アリストテレスによれば、落下速度は、物質の重さに比例する。 したがって、重い方が先に地面に到着する。」 という教授に

学生ガリ(19歳) 「それは本当ですか? 実験したの?」 

教授:「ばかも~ん!」

ということになっている^^



のち、1590年 大学教授になったガリ26歳は、ピサの斜塔で実際に落下実験を行い。 

物質の重さに関係なく、等しく落下することを証明する。

この落下の研究は、放射するときの大砲の角度など、軍事にも応用された。



物体の運動や浮力に関わる研究や発明をする一方、精度の高い望遠鏡を独自に作り 天文観測を行う。

木星の衛星を発見し メディチ星(メディチ家)と名づけたり、 月の表面の凸凹や太陽の黒点を丹念に観測する。

そのどれもが、地動説を裏付けるものになっていく。 



それにしても、なぜ地動説はそんなに都合が悪いのか?

それは、聖書のヨシュア記に<地球は動いていない>とする記述があるかららしい。 

地動説は、聖書を否定することになる。

いまは、どうかわからないが、、


コペルニクスも禁句らしい。彼を支持することは、即、異端者を意味する。



そんな中、ガリと スコラ学派やイエズス会との軋轢が深まる。


1615年 51歳の時に 宗教裁判に告発されるも、ガリの多くの支援者の力や告発内容の甘さで、活動を続けることができた。

そして、62歳ときに 地動説を説いた「天文対話」の執筆にとりかかり、3年後に完成。

ローマ、フィレンツェと 難航しながらも出版許可を得る。



面白かったのは、その出版に至るまでの、ガリの画策だ。

彼は、コペルニクスのように死後も誹謗中傷をうけたり、ブルーノのように異端者となり火あぶりになることを避けたかった。

その一方、この”地動説の証明論”を自分のものにしたいという強い気持ちも持っていた。


出版に際、法王への根回し、メディチ家からの応援など、慎重に下地を作っていく。

書かれた本の手法も面白い。 

「天文対話」 タイトル通り 3人の紳士の4日間の 「天と地をつくられた神のお仕事」についての会話という形式で書かれている。 

直接、ガリが論じている風にはならないように。


登場人物は、サグレド と サルヴィアーチ ガリの支援者で心が通じた実在した今は亡き親友ふたり。 

もう一人は架空のスコラ学徒シンプリチオ。


一日目「アリストテレスの考えは不自然」 2日目 「地球が動いていることはあり得る」 

3日目「コペルニクスは正しい」 4日目「海の満ち引きがその証拠」 という段取りで会話が進む。 


当時としては珍しく、庶民になじんでいたイタリア語で書かれている。

難しい内容でありながら、わかりやすく、理解しやすいように配慮されている。

しかも、旧友を登場させるなど やさしさと愛 を感じる。


本の中身も仕掛けがしてあり、地動説を証明する内容でありながら、

最後に、スコラ学徒シンプリチオに 

「誰であろうと、神の偉大な動きを、一仮設(コペルニクス)だけに限って証明しようとするのは、たわけたことではありまいか。」

と言わせ、これは、単なる仮説にすぎず、神に異を唱えるものではない ことを示唆させている。 



だが、「天文対話」は、完成から3年後、発売禁止になり、ガリは再び宗教裁判にかけられる。

最終的には、ガリは、自身の地動説は間違いである と認め、その後、監視されながらも執筆活動を続けている。

そして、78歳で静かに息をひきとった。


あれっ! ガリ 「それでも、地球は回っている!」 と言ってない!?

実際には、言ってないようですよ^^  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:14Comments(0)BOOK

2019年07月18日

Apollo 11 : 月面着陸50周年

顔 こんにちは。

只今、宮崎空港での ひむかの国の窯元まつり に出展中です!

21日(日)まで

お待ちしています^^


今から50年前(1969)の7月20日 人類が初めて月面に降り立ちました。

様々なメディアで、アポロ11号・アームストロング船長の

「one small step for a man , one giant leap for mankind」

という言葉を耳にします。


という訳で、たまたま本棚にあった 

図説 探検の世界史 6 宇宙への挑戦 フレッド・アペル著 1975年発行 集英社 

をびっぱり出して読んでみました。


 

1543年コペルニクス(天球の回転について) から ガリレオ と ケプラー 

そして、1687年ニュートンの万有引力の法則 で 恒星や惑星の動きを導き出した。


ロケットは、古くは1232年、中国がモンゴルとの戦いに使った「飛び火の矢」、

近年では、1926年、アメリカでロバート・ゴダードが、液体燃料ロケットを世界で初めて打ち上げ。

それから、43年でアポロ11号が、月に降り立つ。 すごい進歩です!


その要因は、一つは、ナチスドイツ。 二つ目は、米ソ冷戦。

月面着陸では、1961年にJ・F・ケネディ大統領が60年代終わりまでに成功させると宣言したことも大きい。


43年間。 この本が出版されてからの年月とほぼ同じですね。



その間、当たり前ですが、成功と失敗を繰り返します。

スケールが大きい分、成功は、輝かしく。失敗は、悲惨だ。


1962年 ユーリー・ガガーリンが宇宙を初めて飛び、無事帰還した。

だが、

1967年のソ連・ソリューズ1号では、宇宙からの帰還でパラシュートが開かず、ウラジミル・コマロフが宇宙飛行士初の死者となる。

同年、アメリカでは、アポロ4号の地上での船内訓練中に、火災のため3名の飛行士が亡くなった。

どちらも、開発を急いだがための事故であり、その後は、安全面などに慎重に取り組んでいく。



月面着陸への課題は、いくつもある。

① 月の軌道にのるパワーをもつロケット

② 宇宙での生命維持装置

③ 月からの帰還方法

④ 月の表面状態の調査

など


興味深かったのは、月面状態の調査。 

もちろん、誰も月に行って触ったことがないので、NASAは、それがどれくらいの硬さなのか確信が持てないでいた。 

もしそれがもろい粒子の集まりならば、宇宙船はずぶずぶと月面にめり込んでしまう。


そのため、月面着陸の約2か月前に、アポロ10号を月面に2回最接近させ、最終確認をしている。

なんとはなく分かっていることでも、その確証となると難しいものだ。



テレビ中継されたその手の届きそうな月面に、アメリカ国民は、次のアポロへの期待が抑えられないでいただろう。

その興奮も、伝わってくる。



著者は、この本(1975年出版)の<はじめ>にこう書いている。

「宇宙征服の最終段階は、素晴らしいことにアメリカ・ソビエトが共同して宇宙ステーションを建設し、そこに長期滞在することになるだろう。」


その最終段階をいつ達成したのか、わからないくらい時間は過ぎてしまった。

この言葉には、「宇宙では、国の争いや国境など無いでほしい。」という想いが込められていると思う。 


アームストロングの月面の一歩は、様々な国籍や宗教の人類を 一つの ”地球人” に変えた大きな前進であってほしいと願う。  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 21:43Comments(0)BOOK

2019年07月14日

世界の伝記:高橋是清

顔 こんにちは。

只今、宮崎空港での ひむかの国の窯元まつり に出展中です。

21日まで

よろしくお願いします!



それでは、世界の伝記 最後の人物です。


<高橋是清>



TKは、1854年 江戸で生まれ。1936年、81歳で陸軍青年将校に殺害されています。(2.26事件)

大政奉還の前年(1867)に、13歳で仙台藩よりアメリカ留学。

翌年、帰国後、まずは東京英語学校教師。

文部省御用掛。商標登録所所長。専売特許局長。日秘鉱業会社社長。横浜正金銀行副頭取。日銀総裁。大蔵大臣。

1921年67歳で 原敬が殺害されたあとの総理大臣。

その後、農商務大臣、犬養首相殺害後も、臨時内閣総理大臣 となっている。


6冊読んだ世界の伝記の中で、TKのが、一番面白かったです。

Y(諭吉)と違い、まさに波乱万丈の人生です。


それにしても、TKが世界の伝記に選ばれるのも、本の出版が、昭和50年代だったからかなと思います。 

日本はまだ高度経済成長中! 大きな金を動かせる政治家・役人が偉かった。


今読むと、明治新政府がいかにいい加減で、混乱していたのかが、逆にわかる。 

巨額の金や事業が、ろくに話し合われず、単独でどんどん動いていく。

後に失敗すると、責任転嫁、繕うことばかり考える。 この本では、TKは、懸命に繕う方の人に描かれている。


1890年(明治23年)いい加減なデータから始めた国家事業南米ペルーでの大規模鉱山掘削で、50万円(50億円*)の損失。 

TKはその工面


日本銀行の社屋建設では、総石作建設が2年遅れ、28万円(28億円*)予算不足するとの計算から、

TKが2階より上は、石造風のレンガ作りにするなど、なんとか繕ったことになっている。


廃藩置県で藩からの俸禄を月給制に変えたら、氏族への支払いが、国の総経費の3分の一になり、

そのため公債を大量に発行したら額面が40%下落した。 

TKは、それを逆手に取り利益を出す。(これって、インサイダー取引じゃないか!?)

など、


興味深い話では、日露戦争開戦で軍資金の準備をTKがしていることだ。

TKが当面必要な軍資金を計算すると、まず1億円(1兆円*)必要と出た。

そしてそれを、アメリカのユダヤ人協会会長シフらから(国債買取)資金提供してもらっている。

( * は 大体の目安として現在の金額に換算した数字)


金と戦争 いまでも変わらない話。


この本だけ読んでいると、新国家日本は、明治、大正、昭和のはじめと、繕いながらもなんとか体をなしていたが、

時間と共に少しずつ内側から壊れて経済破綻・制御不能になっていった感がある。


そしてその後、太平洋戦争へと 地すべり的に進んでいくことになる。
  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 23:25Comments(0)BOOK

2019年07月11日

世界の伝記:福沢諭吉

顔 こんにちは!

いよいよ、宮崎空港での ひむかの国の窯元まつり (13日~21日 宮崎空港オアシス広場にて)

が近づいてきました。

窯焚きやら、窯出しやら、仕上げやら、 忙しくしています。



それでは、世界の伝記、 今日はY(諭吉)です。



<福沢諭吉>



Y(諭吉)は、1835年 大分の中津で生まれる。1901年、68歳で脳出血で亡くなっています。

27歳の時に、咸臨丸で渡米。34歳、大政奉還。

慶応義塾、学問のすゝめ、オランダ語も英語もできる。

頭が良くて、勉強好きで、堅実 けど、どこかひょうひょうとしている。

政治や経済の中心には入らず、教育や出版で時代に考えを広めた感じで、波乱の時代のはずなのに、どこか安定した生涯を送っている。

咸臨丸の時も、日本人初の太平洋横断だ! と息巻くK(勝海舟)に対し、アメリカ人船員も乗船したいと言ってくれてるから、安全の為乗ったほうがいいだろう。といった感じだ。


Yは、31歳の時に、幕府の外国奉行翻訳方に命ぜられた。

翻訳係としては、1962年の生麦事件に対し、イギリス政府から幕府に届いた文書を担当していたりする。翻訳していく過程で、「これはやばい(゚Д゚;)」となっている。

そして、その知識から幕府側として、欧米各国に行っている。


それにしても、当時の(も?)視察旅行は豪華そのものだ。

例えば、フランスでは、最高級のルーブルホテルに一か月ほど泊っている。しかも総勢30数名。

なぜ、当時の日本はこんなにお金持ちだったのだろうか?

いろいろと想像が膨らむ^^


面白いと思ったのは、時々、異国で出会う日本人だ。

江戸時代にも、様々な因果で人知れずに外国で生活している日本人がいた。

シンガポールで出会う音吉、ロシアで出会ったヤマトフ(立花久米蔵)など、興味がそそられる。


Yは、西欧文化に傾倒しつつも、日本に留まり、

大政奉還後は、新政府と距離を置きつつ 教育者、ライターと生きていく。


「独立自尊」

Yの考えの軸となる言葉だが、私的には、それはつまり、「人権」をさしているのではないかと思う。

幕末・明治 日本は、西洋から政治経済の仕組みや、軍事軍備、工業技術など積極的に取り入れていくが、果たして、「人権」ついてはどうだろうか?


それまで、「人権」が存在しない世界で生きて来た人たち(日本人)に、どうそれを伝えるのか。

思えば、Y(諭吉)のこのテーマは、100年以上たったいまも続いていると思う。


  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:45Comments(0)BOOK

2019年07月09日

世界の伝記:西郷隆盛・勝海舟

顔 こんにちは!

今月は、13日~21日まで 宮崎空港での ひむかの国の窯元まつり に参加します。

只今、準備中です。 昨日、窯を焚きました!



それでは、世界の伝記 続きです。


<西郷隆盛>



S(西郷)は、1826年鹿児島に生まれる。そして、1877年、西南戦争で51歳で戦死(自決)します。

Sの印象は、なんというか、得体のしれない薄気味悪さがあります。威圧的で、物事を敵か味方かで考えるタイプ。

薩摩・島津のどろどろとした内部争いがベースにあり、途中、海に身投げをして死にかけたり、島流しの刑を受けたり、表舞台にいるかと思えば、姿を消したり、生きているのか、死んでいるのか。

今でも、西郷の本当の姿は!? と謎がつきないのだから、当時は、それこそ、不気味そのものだったのではないだろうか。

何を考えているのか、わからないし、何をしでかすかわからない。

島流しにして、柵に閉じ込められるほどの危険人物と考えられる。

やってることも、戦が多い。

大政奉還直前に、江戸城総攻撃を企てたり、明治になって戊辰戦争、
それから(征韓)韓国に攻め入ろうとしたり、最後は、官軍相手に西南戦争を企てる。結果、両軍合わせて1万2千人近くが戦死している。

江戸城総攻撃とは、江戸の町中に火を放ち、混乱状態のなか、江戸城に一斉に攻め入るという作戦だったらしい。

周辺でも、切腹や辻斬り、原因不明の死やらが多く、どこか血なまぐさい。


宮崎との関係では、<西郷札>が出てくる。

西南戦争で苦戦し逃れ逃れた西郷軍が、一時的に延岡を占拠し、それまでの通貨を<西郷札>に変えてしまった。 

それで得た資金で軍備を立て直し、再び鹿児島に攻め込む。

西郷軍が敗戦し、紙切れになった西郷札は、延岡・宮崎の経済に多大な被害をもたらしたらしい。


幕末・明治の歴史が、どこか謎めいて、今でも多くの人の興味をそそるのは、Sの捉えどころのない不気味さが大きく関係しているように思えます。


<勝海舟>



K(海舟)は、1823年 江戸生まれ。 S(西郷)の三歳年上。 1899年に 77歳で脳充血により急死しています。

ペリー来航が31歳の時、咸臨丸の船将としてアメリカに渡ったのが、桜田門外事件が起きた1860年で、38歳。

大政奉還が46歳。75歳の時には、田中正造と共に、鉱毒反対運動に力を注いでいる。


Kは、人間力がある人物だと思う。面白い逸話が多く、非常に魅力的だ。

江戸っ子で、べらんめえ口調、本書曰く、「小柄ながらに、ピリッと効いた山椒のよう」こういう人、なんとなくいます。

イメージでは、私の二回りほど年上、団塊世代のおっさんで、組織や会社で、上に平気で物を言い、煙たがれるタイプ^^

幼少期に、御殿に使えるようになったエピソードも面白いし、ペリー来航の年に、幕府に意見書を出すのも、腹が座っている。

咸臨丸の出港時には、大腸カタルで高熱を出していたが、無理やり乗り込み、航海中は、ほとんど部屋に籠っていた。という話も面白い。

咸臨丸には、Y(福沢諭吉)も乗っていて、二人の思惑の違いもこれまた面白い^^

R(龍馬)との出会いも面白く、開国派のKを斬る覚悟で尋ねたRが、逆にKの考えに飲み込まれてします。

S(西郷)とも、江戸城明け渡しの会談のまえに、何回かあっており、お互いの性格は承知していた。 

K&Sだからこそ、無血開城、大政奉還できたのだと、なんとはなく理解はできた。

それにしても、2回に及んだこのふたりの会談。

一方は、べらんめえの江戸弁、方や、薩摩訛りで、無口。

果たして、二人は言葉を理解し合えたのだろうか?

  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:52Comments(0)BOOK

2019年07月06日

世界の伝記:嘉納治五郎・坂本龍馬

顔 こんにちは!

5月6月は、私の中で ちょっとした ”幕末・明治維新”ブームでした。

たまたま購入した”世界の伝記全集”で、嘉納治五郎を手にしたのが始まりで、幕末・明治の人物6人の伝記を読んでいました。



嘉納治五郎・高橋是清・西郷隆盛・福沢諭吉・勝海舟・坂本龍馬

それぞれが絶妙に絡んでいて、とても面白かったです。


伝記ものといっても、昭和50年代に書かれたもので、しかも、中学生ぐらいを対象にした読み物です。

しかし、それが50を過ぎは私には、ぴったりでした。

まずは、文字が大きい!

これは、結構大事です。50を過ぎた人にはわかると思います^^

文字数も少なく、本好きな人だったら、楽に一日で読み終える量、これもいいです。 とにかく、時間がないですからね。

あとは、この年齢で伝記を読むと、新たな視点でとらえることができると思います。いろんな経験をしてますからね。

本人視点だけでなく、親視点、社会情勢を絡めつつ、10代の時では持ちえなかっただろう視点で読むことができると思います。

それに、40年ほど前に書かれたものなので、すこし距離を置いて楽しむことができました。

それぞれに、興味深い内容だったので、感想を書いてみたいと思います。

まずは、

<嘉納治五郎>



J(治五郎)は、1860年 桜田門外事件が起きた年に兵庫県で生まれています。

そして、1938年 東京オリンピック誘致のため、エジプト・カイロ会議からの帰国途中、79歳で亡くなっています。

明治・大正・昭和の太平洋戦争直前まで


それまで、様々な流派に分かれていた柔術を、柔道という名のもと一つまとめ、世界に広めた人物です。 

もちろん、めちゃくちゃ強い人です。幼いことから英語を学びながらも、柔術という日本独自の文化を極めていきます。

激しく西洋文化を取り入れた時代ですが、そんな中、日本独自のものだからこそ、世界に発信できるという発想は、今でも通用すると思います。

しかも、バラバラだった流派に、一つ道(ストーリー)を加えることでまとめていくという発想も、非常に現代的です。


スポーツ嫌いな私ですが、Jの柔道の考えを知って少し考えが変わりました。

一つは、<柔道は、無理・無駄を嫌う> 無理、無駄のない動きが柔道。

もともとは、根性(無理)や上下関係(無駄)とは違う世界だったのです。


もう一つは、<自他共栄>

柔道では、体の小さな者が大きな者を投げ飛ばすことができますが、それは、相手の大きなチカラを自分のチカラに変えからできることだそうで、それは、自分だけが栄えるのではなく、他も栄えることにより、それが、ゆくゆくは自分のものになる。という考えに繋がります。

これなどは、まさに今必要とされている発想で、トランプに聞かせてあげたいです^^


<坂本龍馬>



R(龍馬)は、1835年に高知で生まれています。19歳の時に黒船来航。開国、攘夷、日本が揺れに揺れた時代。

そして、1867年、大政奉還の翌日に33歳で殺されています。


Rもめちゃくちゃ強い人だったようです。体も大きいし、相当な剣術士。それだけで一目置かれます。

Rの場合は、出会った人物がよかったですね。K(勝海舟)

Kの広い視点と斬新な考えをもとに、素直に実行した人(行動できる体力と感覚を持ちえた人)で、たまたま時代に合っていたという感じでしょうか。

<出会い>というのは、大切なものです。 一期一会。


この年齢だから、しみじみと感じます^^  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:57Comments(0)BOOK

2018年01月07日

BOOK: 人類の未来

顔

明けまして おめでとうございます!

今年もよろしくおねがいしますm(_ _)m

2018年も 一週間を過ぎました。

一応、今年は ブログの更新を増やす を目標の一つにしています^^

あまり 焼き物も関係ない記事が多いとは思いますが、よろしくお願いします。

今日は、大みそかに読んだ本について書きたいと思います。

その本のタイトルは <人類の未来> です。



「人類の未来」 講談社自然シリーズ THE LIVING EARTH 19
昭和52年 1977 発行
著者 マルカム・ロス マクドナルド

今から40年前に書かれた 近未来予想の本です。

近未来予想なので、 ちょうど21世紀の今ぐらいを予想した本です。

新年を迎えるにあたり、過去から現在を見、そして、未来を考えてみたいと思ったのです。

ところが、 書かれている未来予想が ぜんぜん当たってなく、 的外れな内容で すこし驚きました^^


未来予想を挙げてみると

20世紀末に化石燃料が枯渇する。

人口爆発による食糧難。

海洋都市開発。

マイル・ハイ・シティー(1.6キロの高さの都市ビル)

宇宙空間での太陽エネルギー開発。

超高速大量輸送システム(飛行機よりの早い巨大なリニアカー)

など

思えば、 20世紀末には石油がなくなる という話題は、

かなりの現実味を持って 語られていたと思ったが

結果は 大外れ だ。

地球温暖化についても予想しているが、海抜120メートル以上の上昇で

パリやニューヨークが 水没していると予測している。

これも 外れ。


コンピューターやテクノロジーの未来については 漠然としか書かれてなく、

インターネット や AI の言葉は出てこない。


それどころか、この本の著者は、大胆にも 人類は 脱社会・脱経済・脱テクノロジー に向かうと予想している。

当時の ピッピームーブメントからの発想のようで、 悲観的な世紀末観など 当時の時代感のようだ。


そして、大みそかの夜 この本を読み終えて感じたのは、

未来予想は難しいし、 それほど悲観的になる必要もない。

ということだった。

  
タグ :人類の未来


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 23:12Comments(0)BOOK