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2012年11月19日
天草大陶磁器展:天草日記(天草巡礼^^)⑤
天草日記、お付き合いありがとうございます^^
天草大陶磁器展2日目のパネルディスカッション<陶芸における技とは>
陶磁器展出展者を中心に10人余りの座談会になり、対面のガチンコディスカッションとなった^^
私は、途中 売り場に行ったために少し離れたところから、パソコンでタイプしつつ、参加してました。
会の終わり、金澤氏がそれぞれに<技とは>を尋ねる。私にも、最後に聞かれる。
その後しばらくは、その私のとっさのコメントについて、頭を巡らせている。
深夜、パソコンに向いながら、そのこと長々と書いていますね^^
しかし、今思えば、なぜ金澤氏が ディスカッションにこのテーマを選んだのかが気になります。
ちょっと長いですが、続きをどうぞ^^
+++++++++++++++++++++++++++++++
金澤氏、私の思う「技術とは」
桜こころさん
「お客さんからのリクエストに答える技術力」
ネットの人
「技術は(工芸)・プラスαは芸術」
鯉江さんがチラシ制作への不満を愚痴る。
からの、陶石作品への評価。自然がつくる美。
あべちゃん、
技術とは、効率性を上げていく、その結果、既成概念により壁ができる。ので、間をとることも必要だと感じる。
松田さん、20日間かけ製作しました。らしい。
佑哉さん、
気持ちのもって行き方が、長けていたのではないだろうか。
おわり。
ではなく、、、私にも最後にコメントを求められた。
「おわり。」のところまでは、会場にいながらライヴでタイプをしていたが、ここからはまた振り返る形でPCに向かっている。(11月4日午前4時38分)
いろいろと記しておきたいことがあるが、なかなかタイピングが追いつかない><
昨夜のライヴのことを書きたいが、時間軸で進めたい。
私にとって技術とは、
まず、陶芸の技術とは を考える。
技術と言っても様々ある。陶芸にも もちろん熟練の高い技術を求められるが、別の分野の技術と比べるとどうなのか。
例えば、NASAの宇宙開発技術、スカイツリーを作る建築技術。IPS細胞やLEDなどの科学技術。そこまでいかなくても、スーパーに並ぶ商品の製造管理技術。さらには、クレーン技師やガンの外科医。それらの技術と比べ、陶芸の技術はどうなのか?
そう考えると、陶芸の技術とはある枠の中にあるものだし、それ特有のものがあると考えることができる。先に挙げた技術と単純に比較できないところもあるし、比較できるところもある。
ただ、技術という大きな枠から考えれば、その一部に過ぎない。
陶芸のわくの中にいれば、陶芸の技術とは大きな問題だが、枠の外から見れば、それほどの問題でもないのだ。
私は、陶芸の技術を否定しているわけではない。
私もこの世界に入り25年が過ぎてしまった。陶芸の技術はやはりそれなりに難しいものだし、特殊だと思う。
技術がなかれば作れない(生活できない)モノでもあるので、ある意味、技術にがんじがらめになっている世界でもある。
だからこそ、技術との距離感が大切になっていて、その上での解釈なのです。
それを踏まえての「私にとって技術とは」
かなり端折ってまとめると、2、3年前まで私のモノ作りの姿勢として「うまくなるな!」というものがあった。
これは先に話した「陶芸のがんじがらめの技術」に対してのアンチテーゼ的もので、技術と距離感を持つことで、個性が生まれ、簡単にいえば「いいものができる」という考えです。
だが、時代は変わるものですね。突如それが通用しなくなる。
そこで私は、それまでの考えを180度変え「うまくれ!」を軸とすることにしてた。
言葉で書くと簡単だが、なかなか発想の転換とは、なかなか難しいものだ。
大げさに言うなら、それまでの自分を100%捨てることになるのだ。
捨てたあと、何が残るのか自分でもわからない。何も残らないかもしれないが、残らなければそれだけの人間だったということで諦めるし。
ただ、それまでの自分を信じなければ、できないことである。
自分的には一大変革だった。
天草大陶磁器展2日目のパネルディスカッション<陶芸における技とは>
陶磁器展出展者を中心に10人余りの座談会になり、対面のガチンコディスカッションとなった^^
私は、途中 売り場に行ったために少し離れたところから、パソコンでタイプしつつ、参加してました。
会の終わり、金澤氏がそれぞれに<技とは>を尋ねる。私にも、最後に聞かれる。
その後しばらくは、その私のとっさのコメントについて、頭を巡らせている。
深夜、パソコンに向いながら、そのこと長々と書いていますね^^
しかし、今思えば、なぜ金澤氏が ディスカッションにこのテーマを選んだのかが気になります。
ちょっと長いですが、続きをどうぞ^^
+++++++++++++++++++++++++++++++
金澤氏、私の思う「技術とは」
桜こころさん
「お客さんからのリクエストに答える技術力」
ネットの人
「技術は(工芸)・プラスαは芸術」
鯉江さんがチラシ制作への不満を愚痴る。
からの、陶石作品への評価。自然がつくる美。
あべちゃん、
技術とは、効率性を上げていく、その結果、既成概念により壁ができる。ので、間をとることも必要だと感じる。
松田さん、20日間かけ製作しました。らしい。
佑哉さん、
気持ちのもって行き方が、長けていたのではないだろうか。
おわり。
ではなく、、、私にも最後にコメントを求められた。
「おわり。」のところまでは、会場にいながらライヴでタイプをしていたが、ここからはまた振り返る形でPCに向かっている。(11月4日午前4時38分)
いろいろと記しておきたいことがあるが、なかなかタイピングが追いつかない><
昨夜のライヴのことを書きたいが、時間軸で進めたい。
私にとって技術とは、
まず、陶芸の技術とは を考える。
技術と言っても様々ある。陶芸にも もちろん熟練の高い技術を求められるが、別の分野の技術と比べるとどうなのか。
例えば、NASAの宇宙開発技術、スカイツリーを作る建築技術。IPS細胞やLEDなどの科学技術。そこまでいかなくても、スーパーに並ぶ商品の製造管理技術。さらには、クレーン技師やガンの外科医。それらの技術と比べ、陶芸の技術はどうなのか?
そう考えると、陶芸の技術とはある枠の中にあるものだし、それ特有のものがあると考えることができる。先に挙げた技術と単純に比較できないところもあるし、比較できるところもある。
ただ、技術という大きな枠から考えれば、その一部に過ぎない。
陶芸のわくの中にいれば、陶芸の技術とは大きな問題だが、枠の外から見れば、それほどの問題でもないのだ。
私は、陶芸の技術を否定しているわけではない。
私もこの世界に入り25年が過ぎてしまった。陶芸の技術はやはりそれなりに難しいものだし、特殊だと思う。
技術がなかれば作れない(生活できない)モノでもあるので、ある意味、技術にがんじがらめになっている世界でもある。
だからこそ、技術との距離感が大切になっていて、その上での解釈なのです。
それを踏まえての「私にとって技術とは」
かなり端折ってまとめると、2、3年前まで私のモノ作りの姿勢として「うまくなるな!」というものがあった。
これは先に話した「陶芸のがんじがらめの技術」に対してのアンチテーゼ的もので、技術と距離感を持つことで、個性が生まれ、簡単にいえば「いいものができる」という考えです。
だが、時代は変わるものですね。突如それが通用しなくなる。
そこで私は、それまでの考えを180度変え「うまくれ!」を軸とすることにしてた。
言葉で書くと簡単だが、なかなか発想の転換とは、なかなか難しいものだ。
大げさに言うなら、それまでの自分を100%捨てることになるのだ。
捨てたあと、何が残るのか自分でもわからない。何も残らないかもしれないが、残らなければそれだけの人間だったということで諦めるし。
ただ、それまでの自分を信じなければ、できないことである。
自分的には一大変革だった。
2012年11月19日
天草大陶磁器展:天草日記(天草巡礼^^)④
天草日記は2日目に入ります。
その日の予定は、午後2時から鯉江良二氏を迎えてのパネルディスカッション<陶芸における技について>
夜は、丸尾焼にて懇親パーティーです。
今回初の試みで、ディスカッション会場にパソコンを持ち込んで、リアルタイムにタイプしてみました。
そのせいで、文体がバラバラですが、ライヴ感と理解して頂けたらと思います。
ではでは、続きです^^
+++++++++++++++++++++++++++++++
技とは、
コンテストのグランプリをとった松田唯さんをパネラーに選ぶ。
松田さんは、先端芸術課の生徒で、金澤尚宜さんとのつながりで、丸尾焼に滞在。陶芸の経歴では「合計一年足らず」の経歴。
準グランプリの金澤宏紀さんは、陶歴が有り、技術も高いものを持っている。この二人の差こそに「技とは何なのか」を考える上で答えになるのではないだろうか。
1、技がマイナス要素になっているのではないか。という疑問。
焼き物の技術の習得には時間がかかる。その上に、技術に固執する傾向がある。
マツダの作品には、焼き物を知っている人間はトライしないリスクがあるので、チャレンジしないのではないだろうか。
焼き物を知らないが上にできる作品ではないだろうか。
その上で、次のステップに進む上で、この技術への固執が足かせになっているのではないだろうか。という疑問と問題点。
「天草の産地化」からの発想で、天草には高い技術がある。
25分遅れで、なぜか、日比野さん登場^^
「なぜ、マツダがグランプリを取ることができたのか」という話。
日比野さん、自分お話。
松田さんと同じ25歳ころ、面白い絵からの広がりで、腕時計を作る企画。だか、はじめは、できないのではないかと言われる。
・・・ではなくて、「お前は分かっていない」と言われる。
技術は、無理難題に挑戦することから発展する。
金澤氏
経験値。
スタッフが作ったいかにも割れそうなオブジェ。割ると批判をするが、実際はわれずに焼きあがる。
チャレンジが大事ということか。
(25分頓挫。売り場にいた。)
その間、日比野氏は退席し、準グランプリのヒロキとグランプリの松田さん、陶芸家鯉江良二さんが参加。30分遅れww
戻ってくると、10人ほどで、輪になって座談会になっている。
おのおのが、グランプリについての感想、意見を言い合う。
あべまつさん、
「どのように作ったのか、単純に技法への興味が惹かれる」
松田さんのはなし・・おそらく、自分の作品について「根気」
だと説明する。
技術の対比として、根気。この発想は面白い。
金澤さんの話の流れで、「技術とは」的な話になる。
鯉江良二さん、かなりねむそうだ。。
鯉江氏、
グランプリについて「修正の積み重ねであるもの」というところが面白い。
「土が笑っている」と鯉江さん、技術の上にくる話。
技術からの「尺」の話。各々の尺を持っていて、それぞれでいいだろう!という話。
松田さん
「土は動くようなもの」
金澤氏、
「そうではない、可塑性から、型にとどまる。痕跡の要素もある。」
土の焼く前とやきたあとの性質の違いのはなしか。
鯉江さん、
「縄文」からの技術への切り口。
まとめ、
ここが思う「技術」とは
同じものがコンスタントにできること。逆に、歪んだものができなくなるジレンマ。
鯉江氏、
「天草にいて、それが揺らいでいる」
*それとは、今までの価値観「自分とはなんなのか」という問。
一生の価値観として「反戦・反原発」がある。それでいて、ジプシーでありたい。
鯉江良二「チェルノブイリ・シリーズ×森ヲ歩ク」。
(つづく)
その日の予定は、午後2時から鯉江良二氏を迎えてのパネルディスカッション<陶芸における技について>
夜は、丸尾焼にて懇親パーティーです。
今回初の試みで、ディスカッション会場にパソコンを持ち込んで、リアルタイムにタイプしてみました。
そのせいで、文体がバラバラですが、ライヴ感と理解して頂けたらと思います。
ではでは、続きです^^
+++++++++++++++++++++++++++++++
技とは、
コンテストのグランプリをとった松田唯さんをパネラーに選ぶ。
松田さんは、先端芸術課の生徒で、金澤尚宜さんとのつながりで、丸尾焼に滞在。陶芸の経歴では「合計一年足らず」の経歴。
準グランプリの金澤宏紀さんは、陶歴が有り、技術も高いものを持っている。この二人の差こそに「技とは何なのか」を考える上で答えになるのではないだろうか。
1、技がマイナス要素になっているのではないか。という疑問。
焼き物の技術の習得には時間がかかる。その上に、技術に固執する傾向がある。
マツダの作品には、焼き物を知っている人間はトライしないリスクがあるので、チャレンジしないのではないだろうか。
焼き物を知らないが上にできる作品ではないだろうか。
その上で、次のステップに進む上で、この技術への固執が足かせになっているのではないだろうか。という疑問と問題点。
「天草の産地化」からの発想で、天草には高い技術がある。
25分遅れで、なぜか、日比野さん登場^^
「なぜ、マツダがグランプリを取ることができたのか」という話。
日比野さん、自分お話。
松田さんと同じ25歳ころ、面白い絵からの広がりで、腕時計を作る企画。だか、はじめは、できないのではないかと言われる。
・・・ではなくて、「お前は分かっていない」と言われる。
技術は、無理難題に挑戦することから発展する。
金澤氏
経験値。
スタッフが作ったいかにも割れそうなオブジェ。割ると批判をするが、実際はわれずに焼きあがる。
チャレンジが大事ということか。
(25分頓挫。売り場にいた。)
その間、日比野氏は退席し、準グランプリのヒロキとグランプリの松田さん、陶芸家鯉江良二さんが参加。30分遅れww
戻ってくると、10人ほどで、輪になって座談会になっている。
おのおのが、グランプリについての感想、意見を言い合う。
あべまつさん、
「どのように作ったのか、単純に技法への興味が惹かれる」
松田さんのはなし・・おそらく、自分の作品について「根気」
だと説明する。
技術の対比として、根気。この発想は面白い。
金澤さんの話の流れで、「技術とは」的な話になる。
鯉江良二さん、かなりねむそうだ。。
鯉江氏、
グランプリについて「修正の積み重ねであるもの」というところが面白い。
「土が笑っている」と鯉江さん、技術の上にくる話。
技術からの「尺」の話。各々の尺を持っていて、それぞれでいいだろう!という話。
松田さん
「土は動くようなもの」
金澤氏、
「そうではない、可塑性から、型にとどまる。痕跡の要素もある。」
土の焼く前とやきたあとの性質の違いのはなしか。
鯉江さん、
「縄文」からの技術への切り口。
まとめ、
ここが思う「技術」とは
同じものがコンスタントにできること。逆に、歪んだものができなくなるジレンマ。
鯉江氏、
「天草にいて、それが揺らいでいる」
*それとは、今までの価値観「自分とはなんなのか」という問。
一生の価値観として「反戦・反原発」がある。それでいて、ジプシーでありたい。
鯉江良二「チェルノブイリ・シリーズ×森ヲ歩ク」。
(つづく)