› 陶studio ブログ › 2017年07月

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Posted by みやchan運営事務局 at

2017年07月31日

アートとは、何だったのか。 13

 こんばんは!

今日は 7月最終日。 いよいよ8月に入ります。

勝負の月に 入ります^^

8月に、新作ができたらいいなと思っています。

まずは、デザインを固めなくては。

その前に、注文の制作を済ませなくては!!

道のりは 長いです( ;∀;)


さて、アートの話 続きです。


ポップアート ヨーロッパ編

他のアーティストも面白いです。

Joe Tilson ジョー・ティルソン


ジェラルド・ラング Gerald Laing 





Ronald Brooks Kitaj  ロナルド・B キタイ


Sir Peter Thomas Blake  ピーター・ブレイク




で、

今も大人気のこの人!

デイヴィッド・ホックニー David Hockney





今年 TATE BRITAIN にて回顧展が終わったばかりです。
TATE BRITAIN EXHIBITION DAVID HOCKNEY

まだまだいます!
anthony donaldson


Martial Raysee マーシャル・レイス


他にも、イヴ・クライン や アルマン・フェルナンデス を紹介していますが、もうおなかいっぱいです^^
  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 21:59Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月30日

アートとは、何だったのか。 12

こんばんは。

今日は 暑かったですね。 本当に。

日曜日ですが、工房で 一日 しのぎの削りをしてました。( ;∀;)

さて、今日も アートの話始めます。



③ポップ・アート前夜 ヨーロッパ

この章は、興味深かったです。
ポップアート = USA
と思っていたので、 

実は ヨーロッパのほうがその兆しは早かったと書いてある。

リチャード・ハミルトン Richard Hamilton


Just what was it that made yesterday's homes so different, so appealing? 1956
題名「一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか」
 
この絵の中の <POP>の文字から、ポップアートと名づけられた。 と書いてあるのです!
知らなかった~。 ほんとでしょうか^^

Richard Hamilton and the work that created Pop Art (BBC)
こちらにBBCの記事があります。 ホントのようですが、この事実、当のイギリス人もあまり知らないようです。

Richard Hamilton




今見ても、古さを感じない。 ウォーホルやバスキアよりも
スキャンダラスでユーモアがあって、
新発見でした!
  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 21:10Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月29日

アートとは何だったのか。 11

 こんばんは。

今夜は、遠くで花火を打ち上げる音が聞こえました。

夏 花火 プール かき氷 祭り 、、

うらやましいような そうでもないような、、

そうやって、

7月がもうすぐ終わろうとしています^^

さて、今日も アートの話 始めます。



②肉体否定の伝統 日本

ここでは、1960年代後半の 日本人の作品が紹介されています。
ざーと見ますね^^

小島信明


靉嘔


横尾忠則


こう見ると、日本にはポップアートは存在しないようです。

靉嘔は、色は鮮やかだが、完全な絵画だし、横尾忠則もコラージュを使用してるが、ただのイラストです。
小島氏の<縞模様の布をかぶった立像>は、かなりいい線行っているが、器用な日本人がそれっぽく作ったにすぎない。

この違いは、興味深い。

考えてみると、ポップアートは、作品そのものもですが、アートを商品化する環境があるから存在したといえます。
強力なマーケットの存在。 
ポップアートでいうなら 画商レオ・カステリがいたからこそ成立したといえます。


マーケットとアートの関係。

いま、アートがしらけて見える 原因の一つかもしれない。  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 23:50Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月28日

アートとは何だったのか 10



こんばんは!

空港展が終了し、 工房で制作に打ち込んでいます。

もう、7月も終わりですからね。 早いです。

8月は、とくにイベントがないですが、9月からは また 連続して入っています。

ということは、 8月が 勝負なんです!

ただ、 やはり 暑い(;´・ω・)

休み休み 頑張ります^^

そうそう、今日は 久しぶりに都城の中心方面に行ってきたので

ユニクロに ちょっと寄ってみました。

そしたら、若冲のステテコが売ってあって、

前回、ポップアートを <ユニクロでおなじみの> といいましたが、

もう、いろいろなんだな。 と思いました^^

さて、 少し日にちが開きましたが、

アートの話始めます。

ポップアートの続きです。

+++++++++++++++++++++++++


当時のアメリカンポップアートとして、他のアーティストも紹介されている。

Robert Rauschenberg
ロバート・ラウシェンバーグ


トム・ウェッセルマン  wesselmann tom



マリソール・エスコバール  marisol escobar


Edward Kienholz  


ジョージ・シーガル George Segal


アーネスト ドローヴァ Ernest Tino Trova



これポップアートなのかな? というのも含まれますが、
当時は、生まれたてのアートで、いろんな解釈があったのだと思います。

最後の トローヴァの作品は、
<車体(バディ)は肉体(バディ)だ!> ということで、

友達の陶芸家 岡モータース さん にその魂は受け継がれています^^

岡モータース 


  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 21:49Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月25日

アートとは何だったのか。 9

こんばんは!

宮崎空港での 窯元祭 本日終了しました。

お越しいただいたお客様 ありがとうございました!

午後7時の終了後 搬出し クタクタですが、

今夜も アートの話 始めます。

好きなことは やめられない^^

今回から 第4巻に入ります。

4巻のテーマは ポップアート です!




<第4巻 ポップ人間の登場> 東野芳明 編著

この巻では、ポップアートを アメリカ・日本・ヨーロッパ と分けてスポットが当てられる。

ポップアートは、今となっては、 「ユニクロTシャツでおなじみの」 という言葉を付けたくなるほど、すり減らされたアートという印象が私にはある。
けど、ポップアートとは、もともとそういう消費耐久性を含んだアートなので、 よくぞ生き延びているな と暖かいまなざしで見ています^^

この巻の第一章は、 <あっけらかんとした弔鐘・アメリカ> です。

<POP> を <あっけらかん> と訳す感覚は 面白いと思う。
では、 <あっけらかん芸術> を見て行くことにしよう。


①あっけらかんとした弔鐘・アメリカ

ジャスパー・ジョーンズ Jasper Johns


アンディ・ウォーホル Andy Warhol


ロイ・リキテンスタイン Roy Lichtenstein


これらは、 80年代の キースへリング バスキア に受け継がれる。
いずれも、ユニクロ仲間だ。

第三巻での 希薄化する現実の中での<人間の原風景>の奪還。 の流れでいえば、
ポップアートとは、 

< 現実が希薄化するなら、アートも希薄化すればよい。>  

という発想だと思う。

現実の比重に物事を合わせれば、 当然、現実に馴染み、溶け込むことができる。

この発想は、今でも通用すると思う。
だからこそ、形を変え、今もみんなに親しまれ続けているのだと。

けど、ここで気になるのが、 ジャスパー・ジョーンズ の存在だ。

私などは、ジョーンズこそ、ポップアートの旗手であり、中心的存在だと思っているのだが、
数年前 熊本市現代美術館行われた <ポップアート展>では、 ジャスパー・ジョーンズの存在は、完全に無視されていた。

今となっては、取るに足らない存在になったのか?

ジャスパージョーンズの比重のずれ、 興味深い。
  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 23:22Comments(3)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月24日

アートとは何だったのか。 8

こんばんは!

宮崎空港での<ひむかの国の窯元まつり> 明日25日までになりました。

お越しいただいたお客様 ありがとうございます!

明日も 私は 空港にいます。

さて、今日も アートの話始めます^^


***つづき***

ベーコンと並べると、他のアーティストは 正直 どうでもいい感じになりますが、
面白そうなアーティストがいろいろ登場します。

ベルナルド・シュルツェ Bernard Schultze


ニキ・ド・サンファル Niki de Saint Phalle


ルフィーノ・タマヨ Rufino Tamayo


Horst Antes ホルスト・アンテス


いえるのは、 その時代 絵画による <人間の原風景> の奪還は、成功したように感じる。
その喜びは、絵からも感じられるし、時代の空気からも感じられる。
  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:08Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月23日

アートとは何だったのか。 7

こんばんは!

暑かったですね(;^_^A

今日も私は 高城工房で作業をしてました。

注文と次のイベントに向けての準備です。

さて、今夜も アートの話 始めます^^


②対極の人間

フンデルトヴァッサー  Hundertwasser


ウーズラ Ursula Schultze-Bluhm



ウーズラ なんかこの人の絵 好きだな~^^









③ 変容の人間

そして、ついに絵画は <人間の原風景> を奪還することになる!!

フランシス・ベーコン Francis Bacon


<人間の原風景>は、 幼児のように素朴で、無垢なだけではなかった。

憎しみや、嫌悪、醜さ 、、
それらがあるからこそ、人間である。

と、ベーコンは教えてくれた。







Bacon Art works

私の中では、ベーコンは 絵画表現の最高峰に位置づけられています。
本当に素晴らしいです。

かなり前だが、美術館で本物を目にしたとき、その作品世界に時のたつのを忘れました。


  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 21:16Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月22日

アートとは何だったのか。 6

 こんばんは。

今日は、空港展は妻に任せて、 高城工房で作業をしてました。

やっぱり 暑いですね(;^_^A

空港では、エアコンが効いてるので なおのこと暑さを感じます。

さて、今日も アートの話です。

今日から第3巻です。


<第3巻 情念の人間> 野村太郎編著

 ①激情の人間

シュルレアリズムから派生した ユートピアやエロスによる <自己(人間)の原風景の奪還> 作戦は、より過激に進行していく。
その一つが、原始化、または幼児化である。

ウィレム・デ・クーニング Willem de Kooning


ジャン・デュビュフェ Jean Philippe Arthur Dubuffet


カレル・アペル Karel Appel


ベングト・リンドストローム  Bengt Lindström



原風景への追及は、やがて 絵画技法や理論 をも捨て払い 突き進んでいった。


その一つの終着点が、これなのかもしれない。

ジャクソン・ポロック Jackson Pollock


これまで私は、ポロックの絵について考えることはあまりなかった。 どちらかというと、なぜ評価されているのかわからないでいたが、こうして順序立てて考えていくと、ポロックの絵は、確固とした絵画の一つの終着点だとわかる。これ以上、どうも進みようがない。

で、<自己(人間)の原風景の奪還>は、成功したのか?

さらなる挑戦はつづく。  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:06Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月21日

アートとは、何だったのか。 5

 こんばんは!

只今、宮崎空港での窯元祭に出展中です。 25日まで

さて、 アートの話。
今日で 第2巻が終了です。


<第2巻 幻想と人間> 

⑤イメージの計略 

ルドルフ・ハウズナー  Rudolf Hausner


⑥現実の突然変異

中村宏 望遠鏡列車


Karl Heidelbach  ハイデルバッハ


そして、この巻は、次の言葉で終わる。

「情報化社会といわれる現代は、複製技術革命やモータリゼーションの普及、電気テクノロジーの進展等によって、人間や動物それ自体よりも、それらの放出する情報やコミュニケーションがたいせつされ、虚像やサインやシンボルが空間をつくりだすような事態をむかえている。それで、現実は夢幻のように見通しがきかず、手応えのないものとなり、それなればこそ、人間が自己自身をとりもどすために、あいまいな日常をほりさげ、失われた影の部分としての幻想を解放し、深めていって、原風景をうばいかえすことが必要なのである。」

この文章は、50年前としては、かなり今を言い当てていると思う。

情報化社会は、50年前からは想像もできないほど、より巨大化し、複雑化している。 いま生きている現実空間の何倍もの情報が、データにより蓄積されてバーチャル世界が形成されている。それらは、現実の第二次世界というよりも、現実世界と結合、拡張していると考えられる。 

現実はより手応えのないものとなり、希薄化している。とも言えるし、

現実はより情報量を増し、より確固たるものになっている。ともいえる。
  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:21Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月20日

アートとは、何だったのか ④


 こんばんは。

今夜も アートの話 始めます^^


<第2巻 幻想と人間 > ④エロスの地平線

スワンベルク(Max Walter Svanberg)


フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン


Leonor Fini レオノール・フィニ


このほかにもいろんな画家の作品も載っています。 知らないアーティストばかりなので 本当に面白いです。

中でも、ドイツの画家 シュレーダー・ゾンネンシュターンは、いわゆるアウトサイダーアートティスト のようです。 ほかにも興味深い作品をたくさん残しています。

しかし、この章では、アウトサイダーという言葉は出てきません。





アウトサイド / インサイド というわかりやすい線引きは、当時なかったのかもしれません。
(ちょっと調べてみたら、アウトサイダーアートは、この本の出版の翌年1972年にイギリスにて定義付けされたようです。)

この章のテーマ<エロス>についてですが、紹介されている絵画を見る限り、性表現という意味では当時より自由になっている気がします。

ただ、この章では、<エロス>について、さらりと流している感があります。
他の巻で扱うのかもしれませんが、表現としての<エロス>は、結構奥が深い世界だと思います。

  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:44Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月18日

アートとは、何だったのか。


 こんばんは。

只今、宮崎空港での ひむかの国の窯元祭り に出展中です。
25日まで
そのため、高城工房は基本お休みになります。
ご了承ください。


空港展の準備のため、 アートの話の続きができませんでした。

2巻と1巻の③章がすこしつながりがあるので一緒にして書きたいと思います。

よろしくお願いします。

では、 アートの話 始めます^^



<第一巻 先駆者たち> ③夢と幻想 

この章では、一気に絵画表現の変化にスポットが当てられる。
シャガールやルソー、クレーなど、
見えないものを描く からの流れで シュルレアリズムの画家 ダリやマグリット、エルンスト
と紹介されるが、この章には、シュルレアリズムという言葉は出てこない。
それを日本語訳した 超現実主義 という言葉が出てくる。

現実 を超えたもの 現実に頼らず神経反射に基づくものを表現しようとすること。
その流れは、一方ではより原始的に、一方では精神病的であったり、エロスであったりした。

セラフィーヌ・ルイ Séraphine Louis
 


<第2巻 幻想と人間> 岡田隆彦編著

第2巻では、シュルレアリズムから発展した いろいろな絵画のテーマを取り上げている。
あまり見たことのないアーティストの作品ばかりで面白い。
とりあえず、紹介されているものをテーマと共にざっくり見て行こう。

<ユートピア>
フッター 鳥を売る人

 
<神話>
フックス ユニコーンとの結婚
 

レームデン 戦車戦
 

<彼岸の世界>
ブラウアー
 

<魔術と秘教>
トイエン お互いのなかに
 


第2巻では<幻想と人間>をテーマにしていて、 本の<はじめに>の欄でこう書かれている。

「今日、渋滞なく生活するために、歪んだ合理主義を都合よく正当化し、ひたすらに功利性を追求してきたことへの反省として、<幻想>のさしだす意味を改めて見なおそうとする気運がたかまっている。」

今から約50年前の言葉だ。

それが、ユートピア や 神話 らしいのだが、今となってはどうなんだろうか。

もはやそれさえ通用しない、制度化された合理性と強靭な功利性に支配されているようにも思える。 <幻想>さえ許されない世の中。

実際、ユートピアとは、何のことなのか。 

今の時代に、思い描かれるユートピアの姿とは、どんなものなのだろうか。


想像ができないでいる。

  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:21Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月17日

宮崎空港にて 25日まで

 おはようございます!

珍しく 朝投稿します^^

只今、 宮崎空港 オアシス広場 にて

ひむかの国の窯元祭 を開催中です。

私も参加しています。

お時間がある方、 宮崎空港を利用される方は、

ぜひ お立ち寄りください。

私は、こんな感じて展示販売しています。





会場の一番前 通路沿いです。

会期中は、私か妻が 大体 おります。

期間中 高城工房は 基本 お休みになります。

よろしくお願いします。  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 09:19Comments(0)作品展・イベント案内

2017年07月09日

アートとは、何だったのか 2

こんばんは。

アートの話 続きです。


<第一巻 先駆者たち> ④自然からの訣別

キュビズム(立体派)やフォービズム(野獣派)の勢い着いた流れと、機械や都市のパワーが結びつき、新たな表現が生まれたと紹介している。

カラ Carlo Carra


エッフェル塔が建ち、飛行機が生み出された時代。
技術の発展がアートに大きな影響を与えるということだろうか。
今でいえば、テクノロジーとの融合
とか、そんなとこだろう。

そして、いきなり話はダダ運動に結び付く。
この章では、ダダをこう表現している。

「第一次大戦のさなかに生まれたダダは、既成のすべての価値観を疑い、芸術のみならず社会観、倫理観、人間観など一切を否定し、嘲笑し、破壊して<白紙の状態>に還元しようと目論んだ運動だった。」

ダダが機械的なものに惹かれていた。 という流れからだが、
その機械的活動は、レディ・メイド と呼ばれ <作品 という概念> まで破壊する動きを生む。

デュシャン


この デュシャンが生み出した レディ・メイド(既製品) というアート表現は、ある意味、究極だと思う。
それやっちゃ、終わりだよ^^;
的な。

モンドリアンが、作者の息遣いを押し殺してるならば、
デュシャンは、作者の存在自体を消そうとしている。

1907年 ピカソの<アヴィニョンの娘たち> から7年後に 

デュシャン <瓶乾燥機>


実質7年で 現代美術は終了していると言える。

章のおわり。 状況が深刻化する戦時下、現代美術の先駆者たちは、ナチスに弾圧されバラバラになり、その活動は停止する。
嘲笑と破壊を目的としたダダのアーティストは、逆に 嘲笑され、破壊されてしまう。
  

Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 23:32Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月07日

アートとは何だったのか。 1


こんばんは。 アートの話 始めます^^


<第一巻 先駆者たち> ①人間像の系譜

12巻もある初めの巻なので、この本での現代の美術の元となる流れが書かれている。
その一番初めに扱われる作品がこれです。

ピカソ アヴィニョンの娘たち(1907) 


これは、それまでのアートのスタイルを変えた衝撃的な作品として有名です。
なんか変わってるのは見た目でわかるし、キュビズムなどの表現方法も典型的で、
今となっては分かりやすい美術の見本となってます。

この絵がどれだけの破壊力を持っていたかは、この作品前のピカソの絵と比べるとわかりやすいです。

Family of Saltimbanques 1905 


ある意味、この破壊力のベクトル方向のまま進んでいるのが、現代美術なのかもしれません。

そう考えると、もう100年越えなので 時代の摩擦係数により すでに停止状態になっていると言えます。


絵画のキュビズムの流れから派生した彫刻も紹介されているが、なぜか、私は彫刻にはあまり興味をそそられないので、さらりと流すことにする。

ジャコメッティ 



<第一巻 先駆者たち> ②表現から抽象へ

絵画が、キュビズム、フォーヴィズムと派生し、段々と目に見える形に捕らわれなくなり、ついに抽象画へと行きつく。

ここで紹介されている二つの抽象画が、絵画の中の現代美術とそれ以前の境目を明確に表していると思う。

クプカ  



モンドリアン


私の中では、前者は 絵画 であり、後者は 絵画ではあるがそれだけではないもの になっている。

この違いは何なのか。

それは単純に、筆のタッチだと思う。

前者は、筆の動きが目に見え、絵から、作者が制作しているさ様を自然と想像させます。
だが、後者は、その筆のタッチをできるだけ抑え、制作している作者の様を想像させません。
その代わりに、絵そのものの表現が際立ちます。

そう考えると、作者という立ち位置の変化が、現代美術の特徴だといえるかもしれません。

この章でも、彫刻が紹介されていますが、さらりと流します^^

プランクーシ 

  

Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:28Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月04日

アートとは、何だったのか。 序



こんにちは。
ここしばらく、悶々と考えていることがあるので、
書きたいと思います。

それは、アートについてです。

前回も書きましたが、 いろんな要因で
表現の自由が 狭まっているのではないか。
という、気持ちがあり、
そのことをちゃんと考えたいな と思っているのです。

そして、以前から気になっている本があり、
それをヒントにすれば、自分なりになにか 答えが出るのではないか。
という気持ちが、もくもくと膨らんでいるのです。

その本とは、私の本棚に長く鎮座している全集で、
講談社の「現代の美術 art now」という全12巻からなる本たちです。

「現代」といっても、この本が出版されたのは、1971年ごろ、
今から46年前です^^

この本の編著は、高階秀爾 と 中原佑介 という人で、
高階さんは、私でも知っている有名な美術評論家です。

この頃出版された 「現代世界美術集」 というタイトルの本の多くは、ゴッホやピカソ、セザンヌ といった絵画を扱ったものがほとんどですが、
この本の興味深いのは、そこが出発点で それ以降の美術を丁寧に扱っているところです。

と言っても、実はわたし、この本の中身をほとんど見ていません。
いつか、きちんと読みたいと思いながらも、
幾年も経ってしまいました。

そしていま、この本を手にするときが ついに来たのかな と感じているわけです^^

そして、 この本を通して、感じたことを「アートとは、何だったのか。」というシリーズにして、時々ここで書き留めたいと思います。

そして、できれば、50年ほど前 と 今 の 表現の自由 の変化について
何か捉えることができればと思います。

けど、いつものことながら、途中で続かなくなる可能性もあります。
意外に中身がつまらなかったり、
気持ちが続かなかったり、、
その時は、ご了承ください^^

というわけで、よろしくお付き合いください。

いまから、読みます^^  
タグ :現代の美術


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:49Comments(0)ARTアートとは、何だったのか。

2017年07月01日

7月です!

 こんばんは!

今日は 暑かったですね(;´・ω・)

今年 初半パン で作業をしてました。

もうすぐ夏ですが、夏と言えば 夏フェス というのもあります。

イギリスでは、グラストンベリーで 音楽フェスがありました。

確か、このころEU離脱の選挙だったので、あれからもう一年経つんですね。

早いです。

というわけで、


Radiohead - Karma Police <Radiohead perform Karma Police at Glastonbury 2017>

アルバム「OK Computer」 から20年経つんですね。

色あせない名盤なので そんな気がしませんが、

このライヴを見ると 立派なおじさんバンドになってました^^


それにしても、なんがだ息苦しい世の中ですね。

そう感じるのは私だけでしょうか?

なので、夏フェスつながり でこの曲を聴きたくなります。


Richie Havens - Freedom at Woodstock 1969

これは50年前なんですね。

私は一歳なので 覚えていませんが、

あの頃 と 今 とでは、

表現の自由 に 変化があるでしょうか。


私は、明らかに あると思います。

いい意味でも 悪い意味でも どんどん行儀がよくなってる気がします。

「世の中に物申す!」 ことは、

騒ぎを起こすことであり、悪い行為である。

という空気が だんだんと強くなっている気がします。


先日、都城市美術館 の企画展に行ってきました。



これ、7月2日までですね^^

地元に美術館があるのは、いいですね。

日南にはないので 贅沢感があります。

それに、無料なので 気軽に行けます。


アート と 「世の中に物申す!」 の関係は、

本来は 相性がいいし そういう作品も以前は 多くあったような気がするのですが、

最近は、 特に日本の作家は あえてそういうことをしていない気がします。

きれいに姿をまとめて 終わり。

そんな中、 この人は 今 これに取り組んでいます。


Ai Weiwei - Drifting

難民問題 は 日本にいるとピンときませんが、

ヨーロッパでは、目の前で起きているシリアスな問題です。

これにアートの視点を投げかけます。


こう書いていて、

もし、日本で社会問題、例えば 福島の原発事故など 

を アートの題材に選んだら 

怒られそうな気がしますね。 不謹慎だ! と。

なんだか 日本は そんな国になってしまったし、

それに、そう感じる自分自身が嫌になります。


都城市美術館での企画展は 昼の空いた時間にさらり と見たのですが、

アートの力 が 弱くなっているのを感じました。

企画展の内容は、いまから20年前ぐらいの作品を振り返る感じだったので

なおのことそれを感じたのかもしれません。

もしくは、私が 歳をとったということか?


けど、アートには 興味を持ち続けているし、

ハッとときめくアートもあります。

というか、

先日 久しぶりに ときめくアートに出会いましたハート


Erwin Wurm / Austrian Pavilion at Venice Art Biennale 2017

作家の情報など 知りませんが、

本当に素晴らしいですし、 美しいです^^

なにが?

ことばでうまく整理できていませんが、

体験型アート ではあるが、 体験者自体がアートになる。

しかも、彫刻作品の一部になる感覚。

作品自体も、インスタレーションでもあり、彫刻でもあるし、

コンセプトアートでもある。

で、重要なので くすぐる笑い と 社会性。


現代美術 まだまだ、捨てたもんじゃありません。



さてさて、今月の予定です。

7月15日~25日まで 宮崎空港オアシス広場 ひむかの国の窯元まつり に参加します。

作品が出来上がってきたら UPしたいと思います。

よろしくお願いします。  

Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 22:40Comments(0)日記ARTMUSIC