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2018年08月15日

終戦の日:忠誠心



今日は、8月15日は 終戦の日です。

1945年(昭和20年)8月15日 玉音放送により 日本の降伏が国民に知らされました。

敗戦です。

あれから73年経ちますが、

個人的には、ますます、あの当時の空気感が鮮明になる感覚を持っています。


1944年(昭和19年) 5月4日の映像です。


NHK戦争証言アーカイブズニュース

終戦の約一年前、東条首相が、国民に向け演説しています。

<東条首相:この蹶起運動の要諦は、我が国民は生まれながらにして持つところの忠誠心を盛り上がらせ、これを常に推進することであります。官民ともに1本のたばこも分け合う温かき戦友愛を持って、お互いが裸になり、また許し合い、また信じ合い、また助け合うことが肝心であります。戦いに勝つということは、戦場にのみあるのではないのであります。国民諸君の足下にも、日常生活の上に、身近く存することを忘れてはならんのであります。>


忠誠心


この言葉は、不思議です。

意味を調べると、「正直な気持ち、真心」となります。


忠誠心とは、 あるもの(人物、信仰など)に向けられた「まっすぐな正直な気持ち」を指すのです。


だが、一般には、献身、服従も意味します。

よってこの言葉は、

「正直な気持ち、真心」=「献身、服従」

という状態を意味しています。


私は、この言葉の感覚が、いま 拡大しているように感じるのです。


この言葉の裏には、

不「献身、服従」=不「正直な気持ち、真心」

という意味が存在します。

服従せぬものは、悪しきもの。

という価値観です。

あるもの(人物、信仰など)に、疑問や、反論、検証を唱える行為を 悪 とする風潮です。


疑問や、反論、検証、、それらは、必要なものです。

ある意味、「正直な気持ち、真心」があるからこそ、できる行為なのです。

  


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 11:20Comments(0)記事