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2016年08月02日

なぜ、パラリンピックは必要なのか。 ④

なぜ、パラリンピックは必要なのか。 ④ こんばんは。

またしても、人間の可能性を証明した すごい記録が誕生しました!

スカイダイバーのルーク・エーキンス氏がパラシュートやウイングスーツなしで2万5000フィートからの歴史的ジャンプに成功


これを見て、あなたはどう思いますか?

「なんで、こんげなこつ せんなんちゃな」 ですか^^

これを 意味あり と捉えるか、意味なし とするか。

これで、あなたがヒューマニズムかどうかわかります。

ヒューマニストにとっては、この記録は 間違いなく 素晴らしいものです。

心の底から 誇れる記録です。


<ヒューマニズム>を少しでも理解すると、様々なものが違って見えてきます。

考えてみると、私たちの生活は、西洋の文化・風習に囲まれています。

それらには、<ヒューマニズム>がベースになっているものも多い。


例えば、 < One for all All for one > という言葉が、わかりやすいと思う。

これこそ、ヒューマニズムが生み出した言葉だといえる。

スポーツでよく使われるこの言葉、

イメージとしては、 試合前、チームのメンバー全員が輪になり、胸をはり、声高らかに宣言する感じだ。


「 われは、誇り高きチームの一員なり!!」 


三銃士の中でも、この言葉は出てくる。



なんとなく、力が湧いてくる感じがわかるのではないだろうか。


この言葉には、いろんな解釈があるが、文字だけみて意味を探ってもわかりません。

「えい、えい、おー!」に 言葉の意味がありますか?

この言葉は、皆が一斉に発することに意味があります。 皆の声が一つになり、

一人一人の誇りが集まり、一体となることが 素晴らしいのです。


ところが、ヒューマニズムのない世界では、

それが、 <自己犠牲> や <全体責任>

といった意味になってしまう。

それでは、<誇り>もなにも、あったもんじゃない!

この言葉は、選手自ら、声高らかに宣言するものであり、

指導者が、選手に対して強制する言葉ではない。

もし、そんな指導者がいたなら、

< One for all All for one >

の言葉を汚しているあなた自身だ。 と言ってやりたい。

つづく



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Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 19:44│Comments(0)記事
 
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