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2015年06月14日

5月病 ⑤

5月病 ⑤ こんばんは。

久々の更新です。 「5月病」の続きを書きたくて ウズウズしてたのですが、いろいろと時間が取れず今になりました。

もう一ヶ月前の話になりますが、5月はいろんなことがあり書き残しておきたいなと思っているのです。

では、続きです^^




ところで、植物たちの状況は悪くなる一方だった。

白いマーガレットには、アブラムシが密集し、その周囲を黒アリが忙しくうろついている。

薔薇は新しく出たばかりのやわらかい葉に小さな青虫が一列に並び、端から端に葉を食い尽くしていた。

他の花達も明らかに元気がなく、蕾が開く前に枯れたりしていた。

このまま問題を放置していたら、植物たちは無残に枯れてしまうのは明らかだった。


私は、植物たちを目の前に、どう手を打てばよいのかわからないでいた。だがどこからか、ある声が頭のなかに聞こえてきた。

「君はそんなに大きなカラダをしていて、そんな小さな虫達も退治できないのか!」

その声は続く。

「君のそのチカラを持ってすれば、虫などひとたまりもないだろう。」

私は、その声に導かれるように、衝動的に薔薇の葉についた小さな青虫たちを指で潰していた。

そして次に、小さな枝を使い、アブラムシをピンピンと茎から弾き飛ばしていた。

私の中で、虫達とある一線が引かれた瞬間だった。



植物を育てるということは、そういうことだ。

私は、植物を育てる中で、いくつか抵抗感のある過程がある。

「間引き」や「殺虫」がそれで、どうしても、される側に自分を想定してします。

「種をまき、いくつか芽が出たら、その中の元気のいいものを3つ残し、あとはすべて引きぬきましょう。」

などと、説明されると、「なんとか、全部をそのまま育てる方法はないのか。」と一瞬考えてしまう。

だが、それだと、3つどころかすべてがひ弱になり、全部が枯れてしまうこともある。

「間引き」は必要な工程である。理屈はわかっている。


では、「殺虫」はどうだろう。

私は、仏教幼稚園に2歳の頃から行っていた影響か、「殺生」にかなりの抵抗がある。

命は尊いものであり、虫といえども一つの命である。という意識が強い。

だが、虫を放置すれば、植物たちは全滅するだろう。「防虫」「殺虫」も植物を育てる中では必要であり、しっかりと考え対応しなければならない事項だ。

そうでなければ、私達はスーパーで新鮮できれいな野菜を手にすることも出来ず、

料理をすることもままならず、日々平穏な生活をおくることも難しくなるだろう。

しかし、農薬を使うことにすこし抵抗もあり、できれば使いたくはない。

かと言って、毎日指で青虫を潰し、枝でアブラムシをピンピンするわけにもいかない。

そこには自分の中にあるルールが必要になるだろう。



そんな日、私は仕事をしながらふと気がついた。

そういえば、いま国会で重要な法改正の議論をしているではないか。

それは、外部からの攻撃に対して、どのような対抗処置をとりえるのかの新たなルール作りである。

それを国の運営を担っている国民に選ばれた方々が、多くの時間と経費をかけて議論をしているのであるから、

そこにある答えがあるかもしれないと考えたのだ。

仕事場のBGMをBBC6からNHK第一に変えてみた。

そこではまさに、国の安全保障に関する法案改正の議論が熱く行われていた。


(つづく)


タグ :5月病


Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 20:52│Comments(0)
 
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