2015年07月02日
モンシロチョウ ③
こんばんは。
昨日は、やっぱり雨でしたね。
梅雨はいつ終わるのでしょうか?
モンシロチョウの話の続き。
モンシロチョウの視点 と 私の視点の違い。
いろんな視点で物事を捉えるのは面白い。
昆虫好きでもない私ですが、複眼にはちょっと憧れます。
昆虫好きな人は、複眼で物を見てみたいと思ったことが必ずあるはずです^^
北郷もそうでしたが、高城にもいろんな鳥が飛んでいます。
北郷では小鳥が多かったですが、高城では、中型の鳥もよく飛んでいて、珍しい鳴き声を聞けたりします。
空を飛ぶ鳥を見ていると、私は、やはり鳥の視点に思いを馳せます。
いろんな種類がいるので、一概には言えませんが、鳥には、空を自由に飛んでいるイメージがあります。
この”鳥の視点”は、いろんな意味を持ちます。
人間社会がとらわれているさまざまな物が無い世界。
渡り鳥には、国境がありません。国から国に自由に行き来します。
その視点をもっと広げて、人種差別や経済格差の無い世界。
「ただ空があるだけ・・」 の世界。
鳥の視点には、ジョン・レノンのイマジンにつながるメッセージがあります。
私がこのメッセージを強く感じたのは、アートからです。
もう何年も前のことだが、たまたま展示会で東京にいたときに、森美術館で行われていた、
中国の現代アーティスト 艾未未(アイ・ウェイウェイ)展を友達と見に行ったときだった。
アイ・ウェイウェイの作品はどれもすばらしく、今でも私に強い影響を与えているのですが、
彼の携わったアートに 北京オリンピックのメインスタジアム 通称鳥の巣があります。
彼の作品は奇抜なので、誤解されることが多いのですが、
この鳥の巣スタジアムも、9.11のテロで破壊された貿易センタービルの残骸をスタジアムの一部に使ったことで物議を醸しました。
大抵は、バッシングで、日本でも「中国人の無神経さ」のように扱われました。
けど、これはまったくの誤解です。
このスタジアムには、先に私が話した”鳥の視点”が意味されているのです。
彼はここに世界を飛び回る巨大な一羽の鳥のイメージを作ったのです。
国境も無い。宗教もない。差別や格差の無い。
ただ空があるだけの世界。
そこには 世界平和 のつよいメッセージが込められています。
それを「中国人だ」なんだ。というのは、国籍や人種にとらわれた人間の視点であり、
あえて、貿易センタービルの残骸を使うことで、そこに痛烈なメッセージをこめているのです。
そして、ここで、頭をよぎるのが、東京オリンピックのメインスタジアムになる「新国立競技場」のことです。
2020年の東京オリンピック開催決定から今日までの「新国立競技場」の動向を見ているとまるでコメディーをしているようだと感じます。
私はある舞台を連想しました。
映画にもなった 三谷幸喜監督「ラヂオの時間」です。
ラジオドラマの脚本を元あったものから、さまざまな都合で変更を加え、どんどんつじつまが合わなくなっていくというドタバタ劇。
もう20数年前テレビで見たが、本当に面白かった。
まるでこれと一緒なのだ。
が
に変更になるらしい。
ギャグとしか言いようが無い。
だが、国はこのコメディーを2500億円をかけ製作するのだから、笑えたものじゃない。
しかも維持費が年間35億円かかるらしい。笑いを超えて青ざめてくる。
当初の予算や計画の甘さが指摘されるが、私が一番突っ込みたいのは、この建物には何のメッセージも無いということだ。
建築というのは、規模が大きいので、そのデザインにはさまざまな視点が必要になる。
そこに暮らす人々の視点。施設の利用者の視点。施工者の視点。などなど。
そして何よりその建物がもつコンセプト。それらがベースにデザインされ設計者によって命が吹き込まれる。
アイ・ウェイウェイのように強いメッセージを込めるまでいかなくとも、最低そこまではやってもらいたい。
だが、修正案のデザインからは、ただ見た目だけにこだわった浅はかさだけが伝わってくる。
デザインを少しでもかじったことのある者ならわかることだが、
デザインとは「見た目」のことではないのです。
悔しいのは、日本は元々、コンセプトの伝わる美しい建築が得意だったはずなのに、
そのよさがまったくこの建物には活かされていないことだ。
建築デザインに限らず、デザイン会社で、クライアントの無理な要望により、ちぐはぐな物が出来上がることはよくあることだ。
これは日本に限らず、世界中のデザイナーの悩みでもある。
この新国立競技場はその最たるものといえる。
2020年、「Kokuritu」がそれを意味する言葉として世界中で使われることになるかもしれない。
とすら思えてくる。
昨日は、やっぱり雨でしたね。
梅雨はいつ終わるのでしょうか?
モンシロチョウの話の続き。
モンシロチョウの視点 と 私の視点の違い。
いろんな視点で物事を捉えるのは面白い。
昆虫好きでもない私ですが、複眼にはちょっと憧れます。
昆虫好きな人は、複眼で物を見てみたいと思ったことが必ずあるはずです^^
北郷もそうでしたが、高城にもいろんな鳥が飛んでいます。
北郷では小鳥が多かったですが、高城では、中型の鳥もよく飛んでいて、珍しい鳴き声を聞けたりします。
空を飛ぶ鳥を見ていると、私は、やはり鳥の視点に思いを馳せます。
いろんな種類がいるので、一概には言えませんが、鳥には、空を自由に飛んでいるイメージがあります。
この”鳥の視点”は、いろんな意味を持ちます。
人間社会がとらわれているさまざまな物が無い世界。
渡り鳥には、国境がありません。国から国に自由に行き来します。
その視点をもっと広げて、人種差別や経済格差の無い世界。
「ただ空があるだけ・・」 の世界。
鳥の視点には、ジョン・レノンのイマジンにつながるメッセージがあります。
私がこのメッセージを強く感じたのは、アートからです。
もう何年も前のことだが、たまたま展示会で東京にいたときに、森美術館で行われていた、
中国の現代アーティスト 艾未未(アイ・ウェイウェイ)展を友達と見に行ったときだった。
アイ・ウェイウェイの作品はどれもすばらしく、今でも私に強い影響を与えているのですが、
彼の携わったアートに 北京オリンピックのメインスタジアム 通称鳥の巣があります。
彼の作品は奇抜なので、誤解されることが多いのですが、
この鳥の巣スタジアムも、9.11のテロで破壊された貿易センタービルの残骸をスタジアムの一部に使ったことで物議を醸しました。
大抵は、バッシングで、日本でも「中国人の無神経さ」のように扱われました。
けど、これはまったくの誤解です。
このスタジアムには、先に私が話した”鳥の視点”が意味されているのです。
彼はここに世界を飛び回る巨大な一羽の鳥のイメージを作ったのです。
国境も無い。宗教もない。差別や格差の無い。
ただ空があるだけの世界。
そこには 世界平和 のつよいメッセージが込められています。
それを「中国人だ」なんだ。というのは、国籍や人種にとらわれた人間の視点であり、
あえて、貿易センタービルの残骸を使うことで、そこに痛烈なメッセージをこめているのです。
そして、ここで、頭をよぎるのが、東京オリンピックのメインスタジアムになる「新国立競技場」のことです。
2020年の東京オリンピック開催決定から今日までの「新国立競技場」の動向を見ているとまるでコメディーをしているようだと感じます。
私はある舞台を連想しました。
映画にもなった 三谷幸喜監督「ラヂオの時間」です。
ラジオドラマの脚本を元あったものから、さまざまな都合で変更を加え、どんどんつじつまが合わなくなっていくというドタバタ劇。
もう20数年前テレビで見たが、本当に面白かった。
まるでこれと一緒なのだ。
が
に変更になるらしい。
ギャグとしか言いようが無い。
だが、国はこのコメディーを2500億円をかけ製作するのだから、笑えたものじゃない。
しかも維持費が年間35億円かかるらしい。笑いを超えて青ざめてくる。
当初の予算や計画の甘さが指摘されるが、私が一番突っ込みたいのは、この建物には何のメッセージも無いということだ。
建築というのは、規模が大きいので、そのデザインにはさまざまな視点が必要になる。
そこに暮らす人々の視点。施設の利用者の視点。施工者の視点。などなど。
そして何よりその建物がもつコンセプト。それらがベースにデザインされ設計者によって命が吹き込まれる。
アイ・ウェイウェイのように強いメッセージを込めるまでいかなくとも、最低そこまではやってもらいたい。
だが、修正案のデザインからは、ただ見た目だけにこだわった浅はかさだけが伝わってくる。
デザインを少しでもかじったことのある者ならわかることだが、
デザインとは「見た目」のことではないのです。
悔しいのは、日本は元々、コンセプトの伝わる美しい建築が得意だったはずなのに、
そのよさがまったくこの建物には活かされていないことだ。
建築デザインに限らず、デザイン会社で、クライアントの無理な要望により、ちぐはぐな物が出来上がることはよくあることだ。
これは日本に限らず、世界中のデザイナーの悩みでもある。
この新国立競技場はその最たるものといえる。
2020年、「Kokuritu」がそれを意味する言葉として世界中で使われることになるかもしれない。
とすら思えてくる。
Posted by 陶STUDIO・サキムラ久 at 01:54│Comments(0)
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